冬と民話は相性がいい。
雪の季節、外は寒いから、みんな家の中に入って、お話が語られる。それが何年も何十年も繰り返されて、熟成されて民話となるからだろうか。
しかしむしろ外に出て、雪を小道具や大道具にし、寒さを演出として使い、民話を語る、それが、こぐま座冬の野外人形劇『マルシュカと12の月』だ。
中島公園の中にある、こぐま座の前広場に、巨大な雪像ステージを作り、その上で繰り広げられるチェコとスロバキアの民話。雪でできたステージは、左右ばかりでなく上下も使う。さらにクライマックスでは中央の扉が開き、前後の奥行きまで使って縦横無尽。
そもそも野外で壁すらないのだから、客のいる広場や中島公園全体、さらには冬のコートを纏った札幌全体がステージのような、そんな広がりを感じた。
演者の数はどれくらいいただろう。子どもや大人や音楽隊、数十人が渾然一体となって、お芝居を作りあげる。子どもたちの素直な演技は楽しく笑いを誘い、不思議と心を熱くする。それに、人形だ。これがすばらしい。迫力があってきらびやかで奇妙な生き物たち。
物語は多くの民話同様シンプルだ。マルシュカはいじわるな母姉に、真冬だというのにスミレの花を持ってこいと命令される。吹雪の森の中、マルシュカは季節の精に出会い、願いを叶えてもらう。スミレを持って帰ってくると母娘は驚愕。つづいてどんどん要求を繰り返し、そのたびにマルシュカは季節の精にお願いしにいく。
この、何度も季節の精にお願いして、ほしいものが現れる反復が楽しい。民話独特のリズム感がいい。しかし、繰り返された物語は、しだいに雪のように積もっていき、ついに最後、爆発する。堰を切ったように、人が人形が、あふれ出し、花火まであがって大団円。客席からは、おー! と歓声があがり、拍手に包まれた。
2月の札幌、雪の夜。寒くないわけはなく、震えもしたけれど、雪も寒さもこの劇の引き立て役。どうせあるなら大いに使ってやろう、そういう、自然とともにある舞台だった。
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ちなみに今回、こころみとしてAIを活用しているらしいのだけど、これは正直不発。季節感の演出として投射される映像が、AIを使って作られたもの……ということなのですが、効果はいまいち感じられず。
気づかないところで使われてるということは技術が浸透したってこと、というレベルではなく、そもそも今回の舞台と融合できていたのか。人間と人形が、見事で不思議な融合をなしとげている舞台だからこそ、AIはまだまだなんだな、という印象を強くした。
そもそも『マルシュカ』上演前に10分?15分?ほどAI技術について説明があったのだけど、僕が見た初日19時の回(全体の2回目の公演)はちぐはぐ。舞台上で説明する人はがんばっていたのだけど、ステージに投影される資料映像はずっと幕からはみ出しっぱなしだし、映されているものも、とうてい今回のために作ってきたものとは思えないものだった。
『マルシュカ』本編の演出はよかったが、はたして前説を演出する人はいたのだろうか? 公演時間として告知されている中で前説があるのだから、これも公演の一部のはず。『マルシュカ』とAIが融合していないのとおなじように、舞台本編と前説が分離していて残念だった。
だからこそ、次回もそのつぎも、AIを使って冬の野外人形劇をしてほしい。最初に書いたように、民話だって最初はグダグダなお話だっただろう。だれかがだれかに雑談程度に話しはじめたのかもしれない。しかし何度も繰り返し語られることによって、煮詰められ、蒸留され、洗練されてきた。
だからAIとお芝居も、繰り返し何度もこころみることで、いつか、なくてはならない存在になるかもしれない。チャレンジは、ようやくはじまったところだと、僕は思う。
2020年2月7日(金)19:10~19:35 こども人形劇場こぐま座 前広場
text by 島崎町